熊本地震の自粛論議について思うこと
先週末に襲った熊本大地震ですが、こういう記事を目にしました。
こういう議論って大きな災害が起こるたびにありますが、結論は至ってシンプルだと思っています。
それは「距離感」の問題です。
個人的には「地震で死ぬ」事も「交通事故で死ぬ」事も「急病で死ぬ」事も一緒です。
でも「身近な人が死ぬ」のと「関係ない人が死ぬ」のとは大きく違います。
結局の所、被災した人とつながっているかどうかが重要です。
昨日起こったエクアドルの地震で
自粛しろという話なんて出ないですよね。
ゆえに日本全国の人が見るテレビは
放送内容をある程度自粛してしかるべきだと思います。
一方で関係ない地域で行う祭りやイベントを自粛する必要はありません。
募金をした事が無い
困っている身近な人は率先して助けますが、何処の誰だか解らない人を助けるような余裕なんて無いです。
何に使われるか解らない募金をしても意味が無いと思います。
もちろん募金する事が悪いとは言いませんが、それなら普段から社会貢献活動をしている組織にも募金してあげて下さい。
不特定多数の困っている人を助けるのは行政の仕事です。
東日本大震災の時も募金はしませんでしたが、
確定申告時に復興特別所得税というのを取られても当然文句はありません。
行政について
役場の災害担当というのは数人しか居ません。
いくら「災害支援は行政がやるべき」と言っても
有事の際には限界があります。
もし行政側に人出が足りないなら、
日本に古くからある消防団や
アメリカのナショナルガードを参考に
臨時パートタイム制度を作る事です。
そうする事により
足りない人員を必要な数だけ
速やかに受け入れる事が出来ます。
支援物資や復興支援についても
「何がどれだけ必要」
という把握が大切です。
「募金したい」「ボランティアしたい」といった善意溢れる人は沢山居ますが、その人達向けに具体的な情報を出すのも行政の仕事だと思います。
「仮設住宅や当面の生活資金の援助に◯◯円必要」というような仮数字を素早く出して募金を受け付けるのもいいでしょう。
実際は公共機関やインフラの復旧にもお金が必要なわけですが、おそらく募金する側はピンと来ません。
あくまで善意ですからそれでいいのです。
逆に何に使われるか解らない募金とか
現地に行くだけ行って邪魔になるだけのボランティアとか
は止めておいた方がいいと思います。